についての私的考察
「AS FOR ONE DAY」はチャーミーメインだと思ってます。
テレビで「AS FOR ONE DAY」を見るにあたって一番気になることは、やっぱり圭ちゃんのことですが(いかなる曲でも圭ちゃんは気になる)チャーミーの歌も気になってしまいます。
今日は、ちゃんと歌えるかな?今日は、なるべく音をはずさないように歌って欲しいな…。とか(^_^;)
チャーミーの歌は不安定だからどうしても気になってしまうのです。
チャーミーといえば、顔はかわいらしいです。そして細くて守ってあげたい感じの子というイメージがあります。
しかし「天は二物を与えない」という事なのか歌は……ですね。
完璧な人間なんていないんです。石川梨華だって不完全な人間なのです。
そんな不完全な石川梨華がメイン(だと思っている)の「AS FOR ONE DAY」はもちろん不完全なわけです。
そんな不完全の「AS FOR ONE DAY」は“完全”を好む(歌がうまいのが好きな)ファンには受け入れられていないという傾向を感じます。
しかし私には、むしろ不完全こそが“美”だと思うのです。
あのミロのヴィーナスやサモトラケのニケは不完全な姿だからこそ、人々に感動を与えているのではないかと思うのです。ミロのヴィーナスに手があったら…ただの「美しい像」という印象しか残らないでしょう。しかし手が無い“不完全”ということによって「このヴィーナスは一体何をしようとしていたのだろうか?」などと様々な推測を楽しんだりすることが出来ると思うのです。
だから私は“不完全”という事においてはミロのヴィーナスやサモトラケのニケ(学校では「サモトラのニケ」で習った)と「AS FOR ONE DAY」は同じ“美”が存在するのではないかと考えました。
ぐだぐだと自分の考えを文にしてみました。
せっかく色々考えたのに、自分だけのものにしては勿体無いと思って。
そして余談ですがこの意見は面白いと思いました。「超一流のB級アイドル」この言葉は最高の褒め言葉だと思います。
そんなわけで“不完全”だからこそモーニング娘。が好きです。
歌はうまいけど、運動はダメな“不完全”な圭ちゃんが大好きです。